10月6日の大分合同新聞一面の「平成と大分」で平成3年の台風19号がとりあげられました。私も取材に答えています。
台風25号の来襲に合わせるかのような、やけにタイムリーなタイミングでの掲載になりました。
台風をはじめとする、すべての自然災害に備えましょう💪
(以下、大分合同新聞より引用)
風倒木被害からの再生 平成と大分
数え切れないほどのスギ、ヒノキが根元からなぎ倒され、折り重なり、立ち残った木が墓標のように映った。
平成3(1991)年9月27日。列島を襲った台風19号は猛威を振るい、日田で風速44・4メートルを記録。大分県の林業地帯である日田、玖珠、下毛地方を中心に、大量の風倒木が発生した。県全体の森林被災面積は約2万2千ヘクタールを超え、被害額は林業関係だけで約500億円に達した。
日田市の林業家、井上明夫(62)は、台風襲来から一夜明けて目にした惨状を鮮明に覚えている。「樹齢80年を超えるヒノキ林が全てやられ、本当に言葉が出なかった。あの台風を境に、何もかも一変した」
約300ヘクタールの所有林のうち被害は3分の1にも達し、長く険しい復旧が始まる。下刈り、間伐と十分に手入れをした人工林は、伐採期を迎えた高樹齢木も被害を受け、ダメージは深刻だった。
県日田地方振興局(当時)の坂本修一(51)=現・県北部振興局=は市町村や森林組合と手分けして現地調査を進めた。遠目で倒木が見えても林道、作業道が寸断され、現地までたどり着くことすらできないことも。「被害がない山を探す方が難しかった」
「大分県で過去に経験がない事態。何から手を付ければいいのか、それが実感だった」。県森林保全課(当時)で造林を担当した清家英典(67)は、被害確認に加え、国との協議、予算の確保に明け暮れた。「所有者が失いかけた復旧への意欲を支え、再造林を進める必要があった」
復旧には再造林を条件に、国、県、市町村で計約95%の補助が出たが、林業家は木材価格の暴落に苦しんだ。日田市内の木材市場はどこも風倒木で荷がだぶつき、値崩れを起こした。樹齢70年以上の大径木も軒並み半値になり、採算が合わない山も。
さらに、ネックとなったのは倒木の処理と搬出。「風で押し曲げられ、たわんだ状態の倒木を切ると元に戻る力で幹が跳ね上がる。足場も悪い。そういう木を切る作業は森林組合のベテランでもあまり経験がなかった」と県森林保全課OBの安東宏(65)。現場では事故が相次ぎ、県内で林業機械の導入が進むきっかけになった。
あれから四半世紀余り。山々はかつての姿を取り戻しつつある。拡大造林の反省から広葉樹が混植され、災害に強い森林づくりも進んでいる。
現在、県森林組合連合会長を務める井上は「あの時は山林所有者の山への思いは強く、熟練の作業員も多かった」と振り返る。だが、もし再び風倒木に見舞われたら―。「果たして同じように造林し、森を一から育てられるのか」。不安がよぎる。
平成の終わりを迎えても、木材価格は低迷したまま。木を販売した収益では再造林の経費が賄えない状況が続く。一方で九州では今、未利用木材を燃料とするバイオマス発電の立地、中国や韓国などへの木材輸出、巨大な製材工場の立地といった、新たな木材需要につながる動きがある。
「利益が出なければ、再び木を植える費用も賄えず、持続可能な森林づくりはできない。林業をビジネスとして成り立たせたい」。1千ヘクタールの山林を所有する田島山業の代表取締役、田島信太郎(61)=日田市中津江村=はこう話す。
田島は、原木の先端や枝葉部分をチップに加工する専用チッパー車の実証事業や、成長の早い早生樹による発電燃料向け木材の低コスト増産の研究を進めている。
「森林を守ることを前提に、林業を活力ある産業によみがえらせ、地域を活性化する。それが究極の目標です」
=敬称略、第6部終わり=