おめでとう、藤蔭高校野球部第100回記念の甲子園大会出場決定
災害復旧最中の日田市に勇気をもたらします
午後5時からは、日田市役所前で全国高校野球大会大分県予選突破の報告会を開催
甲子園でものびのびと頑張ってください
(以下、大分合同新聞より引用)
藤蔭 1点守り抜く エース市川、無四球完封
藤蔭は六回、先頭橋本の左前打などで1死二、三塁とし、奥園の右犠飛で先制。その後は得点できなかったが、エース市川が最後まで相手に本塁を踏ませなかった。
柳ケ浦は中園、上間の継投で失点を最小限に抑えた。だが打線が援護できなかった。最後の打者を内野ゴロに打ち取った瞬間、マウンドで跳びはねて喜びを爆発させた。藤蔭のエース市川晃大(3年)が決勝を無四球で完封し、チームを28年ぶりの甲子園に導いた。殊勲の右腕は「苦しい場面でも表情に出さないようにしてきたが、今は最高の気分です」と心から笑った。
立ち上がりから冷静に試合を組み立てた。緊張はあったが、「力んで投げても何も変わらない」と、低めを丁寧に突いてキレで勝負した。四回、2連打され無死一、二塁のピンチに。だが「相手は直球にめっぽう強い」と冷静に分析し、変化球主体に切り替えた。続く打者を打ち取ると「自信になった」。低めの変化球で押し、後続を連続三振に取って切り抜けた。
終盤は連投の疲れも見え始めた。両脚がつるような感覚も覚えた。今大会、唯一降板した準決勝と同じような状態だった。それでも「自分が」と、気持ちで投げ続けた。八回の守備に向かう際、原秀登監督から「お前と心中するつもりだから」と声を掛けられた。心配されていることも十分に分かった上で最高の笑顔だけで「返事」をした。九回、27個目のアウトを取った瞬間、「足の痛みも吹き飛んでいた」。
投手に転向してまだ1年。今春までは横手投げだったが、春の九州地区大会県予選の準々決勝で明豊に大敗を喫し、「今のままでは通用しない」とスリークオーターに。球威は増したが、「慣れない部分もあった」という。それでも初戦から投げ続けて場数を踏み、打たせて取るすべを学んだ。甲子園でも好投が期待される右腕は「エースとして自分がチームを引っ張りたい」と誓った。強気で戦った
藤蔭・原秀登監督の話 五回まで無得点だったが、ピンチをしのいで落ち着きもあった。どこかでチャンスがあると思っていた。選手は強い気持ちで戦ってくれた。
全て報われた
藤蔭・竹下大雅部長の話 日頃から一生懸命練習してきた成果を出してくれた。夏前も頂点が遠く、悔しい負けも数多く経験してつらかったと思う。でも全て報われた。
1日でも長く
藤蔭・熊懐郁祐主将の話 プレーで力になれない分、声で勇気を与えてきたが、本当に頼もしかった。こんな素晴らしい仲間と一日でも長く野球がしたい。