慈悲観音や河津桜が美しい日田市の観光地・求来里(くくり)喜平の里🌸

満開に近い「河津桜」(後日3月2日に撮影)
求来里喜平を偲ぶ慈母観音像

 日田市求町にある「求来里(くくり)喜平の里」にある「慈悲観音」。この観音様は、明治初期の農民一揆で農民の身代わりとして処刑された求来里喜平を供養するためのものです。

 求来里喜平は1835(天保6)年、求来里村(現日田市求町)に生まれました。石工棟梁(とうりょう)に弟子入りし、17歳のとき、中津と日田を結ぶ「石坂石畳道」(県指定史跡)の整備にかかわりました。剣術修業のため長州(山口県)の武家に仕え、数年後に帰郷。1870(明治3)年、凶作や維新後の混乱から起きた「日田県竹槍(やり)騒動」の首謀者とされ、翌年、仲間4人と共に処刑されました。

求来里喜平の子孫で静岡県でホテルを経営していた故・森野スミ子さんと、日田市求町で農業を営んでいた足立栄子さんは、1985年頃に出会い、凶作と重税にあえぐ農民たちを助けようと立ち上がった求来里喜平の話を後世に残したいと意気投合しました。それから苦労を重ねて1992年2月27日、求来里喜平の命日に合わせて足立さんの所有する畑に観音像と石碑がたちました。

 その3年後、癌を患っていた森野さんから河津桜の苗木が送ってきました。観音像のそばに植えてほしいという想いを受け、足立さんは慈悲観音を囲むように桜を植えました。託された桜は3本が残り、今も観音像を見守るように枝を広げています。

 この公園は「求来里喜平の里」と名付けられ、見ごろになると多い日で1日に300人が訪れ、河津桜は親しみを込めて「観音桜」と呼ばれるようになりました。河津桜は開花時期が早く3月はじめが見ごろで、公園内には梅や菜の花なども花ざかりとなります。

「新型コロナウィルス」で大変な状況が続いていますが、もうしばらくして平和な春が来ることを祈ります。

(参考文献・「慈悲観音や河津桜が美しい日田市の観光地・求来里喜平の里」のホームページより)