9月12日から大分県9月議会の一般質問が始まり、私は4人目で質問しました。
何回かに分けて要旨を報告します。
1.災害復旧と防災力の強化について
(1)JR日田彦山線について
[井上あきお] 復旧に時間を要している「日田彦山線」に関し、JR九州の青柳社長はバスなど鉄道以外の復旧について提案する可能性に言及した。復旧会議の検討状況や見通しは?
[広瀬知事] 報道で知った。場外での発言なので意に介していないが、JR九州に対し「協議の場をないがしろにせず、誠実に復旧会議で議論する」ように強く申し入れた。日田市・福岡県と連携して、地域が強く希望する鉄道での早期復旧に向け、早く結論を出したい。
(2)ハザードマップの周知・活用について
[井上あきお] 県は平成32年までに市町村がハザードマップを作る補助事業を創設した。マップによって住民が地域の危険度を認識し、危険な時には確実に避難する意識を持たなければならない。周知・活用にどう取り組むか?また、災害時の有効な情報伝達手段についてどう考えるか?
[防災局長] ハザードマップを有効に生かすための住民説明会を行う。また、防災教育や防災訓練にも活用し、加えて防災アプリも開発している。情報伝達手段はいろいろあるが、有効な手段を市町村と相談しながら、地域に合わせた情報伝達手段の導入の手助けをしたい。
(まとめ)日田彦山線の復旧は難航しており地元も心配しています。ここで、歴史を振り返ると、小倉~添田間が1915(大正4)年に開通したものの、その続きはなかなか進みませんでした。しかし、1927(昭和2)年に「添田・日田間の鉄道敷設の期成会」が発足し、南側の日田~宝珠山間が先行して1937(昭和12年)に開業しました。その背景に、石炭王の伊藤伝右衛門経営の宝珠山炭鉱や、昭和4年から2年間大蔵大臣を務めた、大鶴出身の井上準之助の存在もあったかどうかは想像の世界です。
残る添田~宝珠山間は、難工事の上に戦争の影響もあってなかなか進まず、1956(昭和31)年にようやく全線開通しました。そのように、かつて先人が大変な苦労をして通したのが日田彦山線です。
今後はただ元に戻すというのではなく、周辺自治体と住民が一体となって、沿線の魅力を高めて利用者を増やしていく方策を考えなければなりません。いろいろむつかしい部分はあると思いますが、どのような形であれ、今後ともこのルートを利用した公共交通が維持されるよう、より良い方向で「復旧会議」の議論を進めてもらいたいと思います。。