日田市の気温36.9度で久しぶりの高温日本一となった7月28日、さらに熱く燃えた全国高校野球選手権大分大会で、日田市の藤蔭(とういん)高校が優勝し、2年連続の甲子園への切符を手にしました👍ちなみに校歌を作詞したのは広瀬大分県知事の父上です♬
藤蔭高校の甲子園での活躍を期待します✌
(以下、大分合同新聞より引用)
攻め貫いた藤蔭 「常に次へ」花開いた積極走塁
第101回全国高校野球選手権大分大会最終日は28日、別大興産スタジアムで決勝があった。藤蔭が5―1で大分商を下し、2年連続3回目の甲子園出場を決めた。夏の大分大会2連覇は2003年の柳ケ浦以来、16年ぶり。
決勝後、閉会式があった。木戸孝明県高校野球連盟会長(竹田高校長)が優勝旗やメダルなどを手渡した後、「藤蔭は年間ポイント9位でノーシードだったが、よく夏に照準を合わせてきた。甲子園でも頑張ってほしい」とあいさつ。最後に両校ナインがダイヤモンドを1周し、大分大会の幕を閉じた。
全国選手権は8月6日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開幕する。組み合わせ抽選会は同3日にある。
▽決勝
大分商 000 010 000|1
藤 蔭 100 100 30×|5
【評】攻めの姿勢を貫き、先手を奪い続けた藤蔭が、粘る大分商を振り切って2連覇を決めた。
○初回から揺さぶり先手奪う
藤蔭の常に次の塁を狙う積極姿勢が決勝の大舞台で花開いた。4打数2安打1打点と活躍し、リードオフマンとしても足でも優勝に貢献した江口倫太郎(3年)は「常に仕掛けて揺さぶりをかける成果が実った」と夏の2連覇に胸を張った。
初回から動いた。先頭江口はさい先よく中前打で出塁。「常に走る感じをにおわせたかった」と、大きくリードを取って、相手先発の左腕を揺さぶった。1死後の3球目、「投球と投球の間に、2回はけん制してこなかった。タイミングを計っていた」と二盗を仕掛け、送球ミスも誘って一気に三塁を陥れた。
さらに四球出塁の樋口昇樹(同)も二盗して1死二、三塁と好機を広げ、塚本修平(同)の中犠飛で江口が生還。準決勝までの5試合同様、先手を奪うことに成功した。
この後も江口が得点に絡んだ。四回は2死から連打と振り逃げで二死満塁とし、江口が押し出しの四球を選んで貴重な1点をもたらした。
1点差の七回には「自分が出塁すれば相手にとって絶対に嫌なはず」(江口)と初回同様、先頭打者として安打出塁。続く吉田創哉(同)の送りバントが敵失を誘って無死一、三塁となり、「相手の配球を読んで直球に絞っていた。初球から狙っていた」という樋口の左翼線二塁打で、江口と吉田が一気に生還。さらに朝倉康平(同)の適時二塁打も飛び出し、リードを4点に広げて逃げ切った。
昨夏の甲子園で江口はベンチ入りできず、開幕戦を見守る立場だった。敗れた悔しさを思い出しながら、「先輩たちの分まで頑張る。まずは甲子園で校歌を」と聖地での雪辱を誓った。
○背番号「11」先発、大舞台で堂々
背番号11が決勝の大舞台で堂々と試合をつくった。藤蔭の先発右腕小宮大明(3年)が6回被安打5の1失点と好投し、「粘り強く、我慢強く投げることができた」と連覇の喜びを口にした。
決勝当日の朝、球場に着いて先発を告げられたが、迷いはなかった。「いつもと違うことをしようとしてもできない」と腹を決め、大観衆が見詰める先発マウンドへ。直球、スライダー、カットボールを使い分け、走者を背負いながらも四回まで無失点の粘りの投球を続けた。
五回に初めて連打で1点を失った。それでも「焦っても駄目。一つずつアウトを」と自分に言い聞かせ、冷静に後続を断った。六回を3人で抑えた直後に代打を送られ、「あとは頼む」と高田大樹(2年)にマウンドを譲った。ベンチから一転して大きな声で仲間に力を送り続けた。
夏の前までは背番号1だった。11で迎えた夏は当初、「悔しさしかなかった」。ただ登録された4投手が役割を果たして勝ち上がるたびに「背番号は関係ない。全員で勝つために野球をやっているんだ」と実感。決勝も「ただ自分の投球をすること」に徹し、求められた役割を完遂した。
昨夏は甲子園でベンチ入りしたが登板機会はなく、サポートに徹した。大きく成長した右腕は、「聖地でも地に足をつけて投球する」と誓った。
○指揮官は26歳、就任5ヵ月で信頼築く
26歳の若き指揮官が選手たちに胴上げされて高々と宙を舞った。監督就任からわずか5カ月。2連覇を果たして「素直にうれしい。緊迫した展開の中でしっかりプレーしてくれた」と真っ先に選手をたたえた。
昨春から指導陣として加わる中、今年2月、原秀登前監督が体調を崩したため急きょ後任を託された。監督経験はゼロ。それでも「選手と一緒にこれまで取り組んできたことを信じて」チームづくりを進めてきた。
日々の練習で自信を深めたのが走力。足を絡めた攻撃に磨きをかけ、決勝でも初回に盗塁を絡めて先制点を奪うなど、主導権を握り続けて優勝をたぐり寄せた。
監督として、寮監として部員と寝食を共にしている。以前は集中力を欠く様子に練習を取りやめたこともあったという。だが今は夜間に自主練習に取り組むなど、心身共に成長した姿を目の当たりにしている。決勝も信頼してグラウンドに送り出し、応えた部員の姿に目を細めた。
選手と共につかんだ甲子園切符。「全国で勝ち上がれるチームを目指してきた。そのチャンスをもらえた。一戦一戦しっかりと戦い抜きたい」と次の大舞台に向けて気持ちを新たにした。
○妥協せず成果
藤蔭・立川一郎部長の話 妥協せずに徹底して力と技を磨き、日々成長してきた選手の努力のたまもの。新しい時代の大分代表としてふさわしい立ち居振る舞いで甲子園に臨み、好きな野球を存分に楽しみ、勝って校歌を歌ってほしい。
○夏の1勝を果たす
藤蔭・松尾将主将の話 秋と春に思うような結果が出せず、連覇の懸かった夏の決勝という重圧の中で勝てて、こみ上げてくる思いはある。ただすぐに切り替え、これからしっかりと準備し、去年果たせなかった夏の1勝を果たしたい。
○日田市に凱旋 市民へV報告
第101回全国高校野球選手権大分大会で2年連続3回目の優勝を決めた藤蔭高野球部が28日夕、日田市に凱旋(がいせん)した。市内田島本町の同校グラウンドで、市民ら約120人に優勝と甲子園出場を報告した。
副部長を務める石井潔校長が「ノーシードで初戦から厳しい戦いだった。大会直前に投打のバランスが生まれてきた。今年は甲子園の舞台で校歌を響かせる。勝つ試合をしていきたい」とあいさつ。
原田啓介市長が「市民、県民の期待を背負って悔いのない試合をしてほしい」と激励した。
選手が一人ずつ紹介された後、3年の松尾将主将(17)が「昨年果たせなかった1勝を目標に気を引き締めていきたい」と飛躍を誓った。保護者らからは「おめでとう」などと祝福の声が上がった。
※この記事は、7月29日大分合同新聞朝刊19ページに掲載されています。