「日田彦山線BRTひこぼしライン」開業記念式典が宝珠山駅で開催されました。
平成29年の九州北部豪雨で添田〜夜明間が被災し、紆余曲折の末この形での復旧となりました。
今後は皆んなでBRTを活用して、大明地区の公共交通を維持していきましょう
(以下、大分合同新聞より引用)
JR日田彦山線BRT、沿線住民らが新交通網の誕生祝う 福岡県東峰村で式典
JR日田彦山線のバス高速輸送システム(BRT)「ひこぼしライン」開業前日の27日、福岡県東峰村の宝珠山駅であった記念式典では、沿線住民ら関係者が待ちわびた新交通網の誕生を祝った。
JR九州の古宮洋二社長(60)が「福岡・大分豪雨での被災から6年がたち、BRTがいよいよ開業する。地元の声を聞きながら停車駅を増やすなど、利便性を高める工夫をした。今後も地域とブラッシュアップしていく」と決意を語った。服部誠太郎福岡県知事(68)、佐藤樹一郎大分県知事(65)らが祝辞を述べた。
BRTを使って通学予定の高校生3人が運転士に花束を贈った。
テープカットの後、沿線市町村をイメージした黄緑色やピンク、水色にラッピングした車両が古宮社長の合図で走り初めをした。試乗会では関係者がBRT専用道を走行した。
<佐藤樹一郎大分県知事>
関係者や住民の皆さんが真摯で情熱的な議論、苦労を重ねてここまでこぎ着けたと思う。便数や停留所が増え、通学や病院へのアクセス、利便性向上にも配慮してもらえた。地域の活性化に大いに役立っていくと期待している。
鉄道復旧への思いもあったと思うが、BRTに生まれ変わって良かったと思える形で結実したのではないか。これからが楽しみ。沿線は老舗の酒蔵や豊かな自然など地域資源に恵まれている。東峰村や添田町と一緒に新たな魅力を発信するため、この出発を契機に連携を強化していきたい。
<服部誠太郎福岡県知事>
日田彦山線は地域の生活、産業を支える重要な移動手段。BRTによる復旧は地域住民の深い理解と決断がなければ成し得なかった。深く敬意を表したい。
沿線には非常に美しい自然景観がある。食べ物もおいしく、魅力にあふれた地域。たくさんの観光客を呼び込みたい。
来年春には福岡、大分両県でJRグループのデスティネーションキャンペーンが実施される。BRTで大いに周遊していただけると期待している。観光客に県境は関係ない。両県がしっかりと手をつなぎ、大成功に導く。
<椋野美智子日田市長>
日田市を訪れた観光客に沿線地域を周遊してもらえるよう、東峰村や添田町と連携していく。被災から開業までの6年間は長かったが、その間、JR九州は代行バスを走らせ、BRT開業に合わせて便数や停車駅を増やしてくれた。高校近くにも止まるコースで、生活の足としてすごく便利になった。
今後は運転免許証を返納した高齢者の移動手段確保も含め、市内の沿線地域で実施しているデマンドタクシーをさらに磨き上げていく。地元の声を聞きながら、よりよい地域交通の在り方を検討していきたい。
■歴史100年超、炭鉱地域をつなぐ
日田彦山線は1915年に私鉄の小倉鉄道が東小倉(北九州市)―上添田(現添田、福岡県添田町)を結んだのが始まりだ。大分県側では37年に国有鉄道の宝珠山(ほうしゅやま)(福岡県東峰村)―夜明(日田市)が開通した。炭鉱が栄えた一帯の石炭輸送を担った。
戦後は宝珠山北側の延伸が進んだ。56年には彦山(添田町)―大行司(だいぎょうじ)(東峰村)を結ぶ約4・4キロの釈迦岳トンネルが、着工から19年を経て完成。日田市と北九州市が鉄路でつながった。当時は日田線と呼ばれ、準急列車(後に急行)も走った。60年に日田彦山線に改称した。
ピーク時の55年に約13万6千人が暮らした沿線3市町村の人口は、今年1月時点で約7万3千人となった。
JR九州によると、国鉄民営化で同社が発足した1987年度の添田―夜明間の1日1キロ当たりの平均利用客は665人。福岡・大分豪雨で被災する前の2016年度は131人だった。