家庭環境を失った子どもたちのために💛

 今日の大分県議会予算委員会で福祉保健部の予算を審議した際、私は里親やファミリーホーム(5〜6人の子供の養育をする里親)の支援策について質問しました。ところで日田市にはかつて「日本の孤児院発祥の地」と言われる「日田養育館」がありました。三本松市営駐車場の横に記念碑と説明の看板があります。児童虐待などのため家庭環境を失った子供たちを受け入れる皆さんに感謝するとともに、支援策の充実をめざしていきます!!

日田市営の三本松駐車場の横にある「日田養育間址」の石碑

「日田養育館」についてはフェイスブック友だちのI氏より詳しい情報提供があったので引用します。

きょうのブラリ 日田養育舘之址
 明治初期の日田は人工中絶や捨て子が多く医師である諌山菽村は捨て子があれば自費で育てていたが限界があった。
 この事態を憂いた咸宜園塾長広瀬林外と共に日田県知事松方正義に施設の設置を進言。博多屋廣瀬家、丸屋千原家、鍋屋森家、京屋山田家を中心に資金を集め、松方自信も私財を投げ出し施設が設置された。明治2年(1871)の活動当初は古家を利用していたが日田郡南豆田村(現在の日田市営三本松駐車場)に孤児院「養育館」を建設。養育舘は孤児だけではなく生活貧窮の児童も収容し、産婆や医師など職員は無給で働いた。
 乳児に必要な乳は乳母の貰い乳では賄い切れず、搾乳量に乏しい和牛では全く不足していた。そこで松方は上海から数頭の乳牛を輸入し県下で初めてホルスタインを導入。上海から取り寄せた仏製哺乳瓶を使い牛乳を乳児に与えた。
 日田経済の悪化によって明治6年(1875)に閉鎖される4年間に360余命の子供たちが養育された。
 近代日本において最初の孤児院であるとされ、日田は「福祉発祥の地」ともいわれている。